2011 12月3日 4日 富士山
参加者 中三川 晃利
ヒマラヤ観光 井本氏 安食君(早稲田大学学生、アシスタントガイド)
2012 1月にアコンカグアを目指すメンバー4人
3日 二つ玉低気圧で土砂降り。
足利から河口湖駅まで車3時間、約束の2時間前に着いた。
10:30am 井本氏らと合流、宇都宮線のダイヤが乱れ、メンバー1人が2時間遅れるとのこと。富士吉田はうどんが名物?と、人気のうどん屋で素うどんを食べて待つ。茹でたキャベツが入っていた。
車で馬返しまで移動、
12:42 ようやく出発。小雨 降ったりやんだり、時々突風が吹くが樹林帯なので問題ない。ところどころ石畳のある緩やかな山道を 休み休みゆっくり登る。
15:17 佐藤小屋に着いた。ここが正確な五合目。散歩道のような登りであったが、高度差は1200m以上、西黒尾根より長い。
佐藤小屋には釜戸のある大きな薪ストーブがあり、其れを囲んで歓談できる。熱湯がいつでも柄杓でもらえる。
日本酒4合持ってきていたが、分けるには少ないと、ひっそり軒下に出て、焼き鳥、モツ煮をコンロの火にかけて、全部飲んでしまった。
強風と雨でもそとは気持ちがいい。酩酊状態で皆の輪に加わり、更にビール2本、椀カップひとつ飲んだ。夕飯は豚しゃぶ。たくさん食べてぐっすり眠れた。21:00就寝。
4日
3;30amにトイレに目覚めた。宿の奥さんはすでに起きて、食の仕度に忙しそうだ。「あっちが甲府の明かり、こっちは東京、こんなふうにきれいに見えることなんてめったにないよ~」と教えてくれる。
4:00am 吉田うどんで朝食、お代り自由、テルモスに釜戸の熱湯を注ぐ。蜂蜜もいれた。
5;07am ヘルメット、ハーネス、ヘッドランプを着けて、闇の中を出発。満点の星空、風がときどき強く吹き具ける。
6合目付近でアイゼンをつけ、夏道に沿って上っていく。東の空が明るくなる頃、秩父の山中に遭難信号を思わせるライトの点滅を安食君がみつけ、警察に連絡をした。
きれいな日の出 を拝みつつ、歩く。朝日が富士山頂付近を赤く照らしだした。6合目を過ぎたころ 最年長のOさんがお腹の不調を訴え、引き返していった。
9:30am 7合目付近、女医のSさんがギブアップ、ここでザイルを出し、井本さんはSさんと、先に下った0さんを追って下山していった。
雪面が硬くなってきていた。 風も強くなった。古河市から参加の女性Wさん、元警察官のF氏と私の3人が安食君をガイド(リーダー)としてザイルを繋ぎ、上を目指すことになった。 井本さんの命令:「11時には下山を開始してください。あと15分で頂上という状況ならなら、行ってもいいです。でも条件が悪ければ、無理をしないで戻ってください。安食君の指示に従ってください。」
無言で4人歩き出す。雪面が朝日に輝いて、強風に舞う氷の破片がきらきら光る。
8合目を過ぎると元気だったWさんがスリップを繰り返すようになる。その度にザイルに引かれ、安食君が「右足蹴りこんで! ピック打ち込んで!」と指示を出していた。 8.5合目の小屋 3370m で休憩。強い風で、立って休むことができない。
10:32am 「ここから下山します。」と安食君。敬礼して従う元警察官のF氏、「ここは風の通り道で、約束の11:00amまでは登ってみませんか」と私。 9合目とお鉢の稜線はすぐ目の前だ。言ってはみたものの、今後風は強まる、傾斜はきつくなる、雪面は硬くなることははっきりしていて、「もうやめないと危険です。」の安食君の言葉に素直に従うことにした。
私、F氏 Wさん 安食君の順で慎重に下る。アイゼンをフラットに打ち込めないWさんはすこし苦労していた。強風で全員が耐風姿勢をとることもあった。
アイゼンのベルトを確認しながら歩いていたら、気がついたときザイルにぶら下がっていた。何とか体勢を立て直すと上の二人も倒れていた。一番上の安食君がピックを突き刺して踏ん張りながら「3人一緒だとさすがにキツイ!」と笑っていた。滑った最初の犯人が私だったか?一瞬の出来事でよくわからないが、」アイゼンに気を取られたまま歩き続けたのは失敗だった。
7合目小屋でザイルを解き、6合目の小屋でアイゼンをはずす。風が弱まり穏やかないい日になった。10人から20人近いパーティーが続々と降りてくる。
彼らは頂上を極めてきたのだろうか
13:00 佐藤小屋 Oさん 女医のSさんと井本さんが明るく出迎えてくれる。日は富士山の影に隠れた。
15:30に小屋を出発。緩やかな林道を1200m下って15:00 丁度 馬返しに」到着。駐車場にはたくさんの車があり驚いた。
足利までずっと高速を走って3時間。
富士の面白さと、厳しさがわかり、富士攻略の戦略も立てられそうです。




