2008年5月21日水曜日

富士山、雪多し

日時:2008年5月18日(日)
場所:富士山・富士宮口
メンバー:板橋、福島、深沢、武藤(CL)、谷津(SL)(テレマークスキー)、中三川(スノボ)
P5180034

5月17日(土)
21時を過ぎて武藤氏宅をエスティマで出発。
「遅くなるので、天幕場では飲まないように」と武藤氏は釘を刺す、車内では飲んでよいと言われ、大宴会になる。
24時、御殿場で谷津氏を拾う。
濃霧の中、富士宮口新五合目に到着したのは、午前1時を過ぎていた。駐車場には雪の壁。
武藤氏に隠れてブランデーを飲み、1時40分、就寝。

5月18日(日)
5時前に起床、歳をとると朝が早い。

5時40分、登山開始。雪が凍っており、すぐにアイゼンをつける。
ヒューヒューと鹿の鳴き声のような音をだして、福島氏は登る。高山病にならないための呼吸法をレーニエで習得したらしい。不気味。

6時30分、休憩、周りは殆どスキー、スノボを背負ったバックカントリヤーだ。若い女性も多い。板橋氏 嬉しそう。快晴、一面の雪。

7時10分、7合目、板橋氏を先頭にアイゼンを効かせて進む。雪が固く、アイゼンを持たない深沢氏だけが、必死にステップを切っていた。雲海が見事、富士山ならではの雲海だと谷津氏が言う。

8時45分、8合目、皆元気、一人でキックステップを切ってきた深沢氏は、「足が攣るので夏道をゆっくり行く」と別に歩き始めるが、屈伸運動を繰り返しながら、常にずっと上を登っていた。

9時40分 9合目、まだ元気、雲海がぐんぐん上がってくる。日差しは強く、照り返しが熱い。ここから、疲労がジンワリ足にくる。高度のためか、背が切れる。頂上直下は雪も固く、ストックをピッケルに持ち替えるパーティーもいた。最近降雪があったようで、シュカプラがきれいだ。

11時、山頂小屋に深沢氏、板橋氏、谷津氏、中三川が到着。中三川、激しい頭痛と吐き気があり、昼飯を無理矢理胃袋に流し込む。くやしいが、高度障害のようだ。
谷津氏と中三川、剣が峰を往復、11時30分 日本最高峰に立つ。噴火口とこれを囲む稜線は純白。太陽の周りに虹ができて、ツララをつけたエビの尻尾がキラキラ輝いていた。
板橋氏とアイゼンのない深沢氏は安全を期して,先に慎重に下り始める。ヤバイ、ヤバイといいつつ、スラックス + メタボスタイルの深沢氏は散歩を楽しんでいる雰囲気。

12時、谷津氏と中三川、山頂小屋から下山開始、すこし下ったところで、スキー、スノボをつける。ここで福島氏と武藤氏とすれ違う。
高山病予防のため、スポーツ用酸素ボンペまで用意した福島氏は12時30分、元気に登頂を果たす。雌鹿の鳴き声のような声をだす呼吸法は有効であったが、途中で武藤氏に禁止されたらしい。
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好天は続いていた。
今年は雪が多く、滑降組みは心地よい豪快な大滑降を堪能した。

一時間弱で6合目の小屋まで降りる。そこからは濃霧となり、歩いて駐車場へ到着、13時20分。

14時、歩いて下山した板橋氏、深沢氏も到着。7合目付近で濃霧にまかれ、雪のトレースが切れ、ルートがわかりにくかったとのこと。さっそくブランデーを飲み始める。
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14時45分、武藤氏、到着。やはり濃霧で視界を失い、7合目でルートをはずれ、福島氏とはぐれる。
福島氏、道無き道を必死に下り、雪渓を転げ落ちるようにして15時50分無事到着。

春とはいえ、視界を失うことの怖さを味わった。何はともあれ、全員登頂できたことを皆心から喜んだ。

風邪気味でおとなしくなった谷津氏を御殿場で降ろし、大渋滞の東名高速で酒宴を楽しみ、幸せを満喫した。
22時過ぎ、足利着。武藤氏は全員の登頂を見守り、長い運転をひとりでこなし、皆を自宅に送り届けた。
来年は、剣が峰で 全員そろって記念撮影をしたいものです。 

記録:中三川






2008年5月8日木曜日

2008年総会

日時:2008年4月27日(日)12:00から
場所:栃の実クッキングスクール

参加者:
保科先生
松崎邦三(S29)
丹羽幹男(S32)
杉田茂久(S27)
長沢慈
和田芳典(S39)
板橋敬(S40)
伏島一雄(S43)
福島潔(S45)
大滝康裕(S50)
武藤浩章(S50)
中三川晃利(S52)
江原弘義(S52)
荻原久雄(S52)
大澤公宏(S53)
小峰衆一(S53)
谷津範之(S53)
出島利夫(S57)
小峰紀久(H15)
善林宗一郎(H15)
大塚長人(H3)
深沢幸弘(S48)
正田実(S37)
丸山  

総会は無事に30分で終了。その後宴会に。武藤、出島が刺身に天ぷらに腕をふるう。
16時頃一締め、後片付け。ここから深沢氏参加。小峰と二人で正田実さんを迎えに行く。自衛隊・丸山も来る。
中華料理の出前を頼み、その場で2次会。20時頃クッキングスクールを引き払い、大黒屋の並びの「味っこ」で3次会。カラオケ歌い23時まで。

ビール500ミリリットル20本、焼酎3升、日本酒2升、ウィスキー1本
総会資料
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GW尾瀬第2弾、燧ヶ岳

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日時:2008年5月4日(日)
場所:尾瀬・燧ヶ岳
参加者:関口、谷津

5月3日(土)
9:00 お茶の水で関口氏をピックアップ、東北自動車道で檜枝岐を目指す。GW後半の初日。混んでいる。
15:30 民宿おぜぐち着。側にあるアルザに入浴に行き、帰ってから酒を飲み始める。18:00より夕食。山菜料理をつまみに、さらに4合。部屋に戻って、焼酎。

��月4日(日)
06:00 起床
06:30 朝食
07:20 民宿発。
08:10 御池駐車場出発。晴れ、陽射し強い。関口氏はオーバーパンツを忘れ、タイツで登る。軽快。
10:20 俎嵓(まないたぐら・2346m)。天気良く、暖かいので、隣の柴安嵓(しばやすぐら・2356m)にも行ってみる。尾瀬ヶ原がきれいに見える。Ca380049

12:00 下山。雪はドシャだが、それほど重くない。最初の斜面が一番楽しかった。ルートを考えたが、やはり登ったルートをそのまま降りることに。それが一番楽しそうだ。
13:00 御池着。
14:00 古町温泉赤岩荘で入浴。田んぼのナカノ露天風呂。褐色の湯でかなり熱い。
15:00 出発。東北道まで2時間。東北道も渋滞で、関口さんを綾瀬で降ろしたのは20:00。

好天のGWだったため往復に相当時間を費やしたが、温泉と山菜とスキーは非常に楽しめた。
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至仏山・ムジナ沢滑走

日時:2008年4月29日(火)昭和の日
場所:尾瀬・至仏山
参加者:CL 谷津 SL 出島 記録 中三川

山の会総会翌日、夜9時に足利を出る予定で、実際に足利を出たのは10時。出島氏は、シュラフを忘れてきたが、幸、私のところにシュラフが2つあったので、出発の更なる遅れは回避できた。アセトアルデヒドが残留しているにもかかわらず、出島氏は自慢のランカスターをラリー車のごとく走らせる。太田から高速道路に乗り、沼田のセブンで買い物を済ませ、12時に鳩待峠駐車場到着。

ここには30台程度の駐車スペースがあるが、空いていたのは数箇所、幸運。満点の星空、駐車場の周りは一面の雪、気温は4℃。寒い。駐車場脇の広い空き地にテントをはり、ささやかな酒宴の後、1:30AMに就寝。

5:30AM 起床、雪が腐ったほうが歩きやすいと、ゆっくり支度をする。

6:50AM 鳩待峠を出発、緩やかな雪の斜面をトレースに沿って登る。殆どの人達がスキーにシールをつけ、あるいはスノーシューを履いているが、我々は谷津氏の指示に従い、つぼ足で歩く。谷津氏がテレマークのブーツでステップをきり、ボードの靴をはいた中三川が続き、登山靴で重いアルペンスキーの靴を背負った出島氏がラストを歩いた。実際、トレースをはずさない限り、殆どもぐることはなかった。

7:40AM 1866m のピークで小休止、晴れ、燧ケ岳、尾瀬ヶ原がきれいに見渡せる。至仏山は初夏のような日差しをうけて純白に輝き、広広としたオープンバーンがすぐそこにある。小至仏山のわずか下、東斜面をトラバースするように抜け、9:00AM 至仏山のピークに立つ。雲海があり、東北、新潟の山々が望める。谷津氏がいろいろ説明してくれたが、初めて臨む滑走の準備で頭が一杯で、記憶に残らなかった。

9:40AM 谷津氏のテレマーク、中三川のボード、出島氏のアルペンスキーの順で滑走を開始、ムジナ沢の上部は雪が少なく、所々岩が露出している。沢左の斜面は一部亀裂が生じている。谷津氏が選んだ滑走ルートを軽快にかつ慎重に滑った。斜度25°程度、粗目雪、トレースは数本、なんと 転ばずに滑れるではないか。至福の瞬間。
傾斜が緩くなるところで右側の尾根にトラバース気味に入り、ツリーランをしてどんぴしゃり、山の鼻小屋の前に到着。10:20AM。無風、雪原の尾瀬ヶ原に初夏の日差しが注いでいた。時間が止まったような錯覚。

10:50AM 山の鼻小屋を後にする。雪の解けた湿地にはミズパショウのつぼみがたくさん顔を出していた。「あんな花の何処がいいんだ。」と谷津氏、「歌のせいでしょう。」と出島氏が応える。ミズナラの林を黙々と歩き、12:00AM 無事、鳩待峠に帰着。

帰路は根利、立ち寄り温泉で汗を流し、蕎麦をたべて、足利へ。
今年は無理とあきらめていたバックカントリーツアー、谷津氏、出島氏のおかげで、感動的は初体験となりました。

��中三川記)