場所:富士山・富士宮口
メンバー:板橋、福島、深沢、武藤(CL)、谷津(SL)(テレマークスキー)、中三川(スノボ)

5月17日(土)
21時を過ぎて武藤氏宅をエスティマで出発。
「遅くなるので、天幕場では飲まないように」と武藤氏は釘を刺す、車内では飲んでよいと言われ、大宴会になる。
24時、御殿場で谷津氏を拾う。
濃霧の中、富士宮口新五合目に到着したのは、午前1時を過ぎていた。駐車場には雪の壁。
武藤氏に隠れてブランデーを飲み、1時40分、就寝。
5月18日(日)
5時前に起床、歳をとると朝が早い。
5時40分、登山開始。雪が凍っており、すぐにアイゼンをつける。
ヒューヒューと鹿の鳴き声のような音をだして、福島氏は登る。高山病にならないための呼吸法をレーニエで習得したらしい。不気味。
6時30分、休憩、周りは殆どスキー、スノボを背負ったバックカントリヤーだ。若い女性も多い。板橋氏 嬉しそう。快晴、一面の雪。
7時10分、7合目、板橋氏を先頭にアイゼンを効かせて進む。雪が固く、アイゼンを持たない深沢氏だけが、必死にステップを切っていた。雲海が見事、富士山ならではの雲海だと谷津氏が言う。
8時45分、8合目、皆元気、一人でキックステップを切ってきた深沢氏は、「足が攣るので夏道をゆっくり行く」と別に歩き始めるが、屈伸運動を繰り返しながら、常にずっと上を登っていた。
9時40分 9合目、まだ元気、雲海がぐんぐん上がってくる。日差しは強く、照り返しが熱い。ここから、疲労がジンワリ足にくる。高度のためか、背が切れる。頂上直下は雪も固く、ストックをピッケルに持ち替えるパーティーもいた。最近降雪があったようで、シュカプラがきれいだ。
11時、山頂小屋に深沢氏、板橋氏、谷津氏、中三川が到着。中三川、激しい頭痛と吐き気があり、昼飯を無理矢理胃袋に流し込む。くやしいが、高度障害のようだ。
谷津氏と中三川、剣が峰を往復、11時30分 日本最高峰に立つ。噴火口とこれを囲む稜線は純白。太陽の周りに虹ができて、ツララをつけたエビの尻尾がキラキラ輝いていた。
板橋氏とアイゼンのない深沢氏は安全を期して,先に慎重に下り始める。ヤバイ、ヤバイといいつつ、スラックス + メタボスタイルの深沢氏は散歩を楽しんでいる雰囲気。
12時、谷津氏と中三川、山頂小屋から下山開始、すこし下ったところで、スキー、スノボをつける。ここで福島氏と武藤氏とすれ違う。
高山病予防のため、スポーツ用酸素ボンペまで用意した福島氏は12時30分、元気に登頂を果たす。雌鹿の鳴き声のような声をだす呼吸法は有効であったが、途中で武藤氏に禁止されたらしい。

好天は続いていた。
今年は雪が多く、滑降組みは心地よい豪快な大滑降を堪能した。
一時間弱で6合目の小屋まで降りる。そこからは濃霧となり、歩いて駐車場へ到着、13時20分。
14時、歩いて下山した板橋氏、深沢氏も到着。7合目付近で濃霧にまかれ、雪のトレースが切れ、ルートがわかりにくかったとのこと。さっそくブランデーを飲み始める。

14時45分、武藤氏、到着。やはり濃霧で視界を失い、7合目でルートをはずれ、福島氏とはぐれる。
福島氏、道無き道を必死に下り、雪渓を転げ落ちるようにして15時50分無事到着。
春とはいえ、視界を失うことの怖さを味わった。何はともあれ、全員登頂できたことを皆心から喜んだ。
風邪気味でおとなしくなった谷津氏を御殿場で降ろし、大渋滞の東名高速で酒宴を楽しみ、幸せを満喫した。
22時過ぎ、足利着。武藤氏は全員の登頂を見守り、長い運転をひとりでこなし、皆を自宅に送り届けた。
来年は、剣が峰で 全員そろって記念撮影をしたいものです。
記録:中三川
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